『「ながい窖」から抜けだすために』
書き手:崔権一
今回は、今話題の書物「ながい窖(あな)」(著者 手塚治虫 発行所 法政大学出版局)の感想を手短に…。
この本は手塚治虫が1970年に発表した本作に6編の解説をつけて、法政大学出版局が復刻したものだ。原作は、戦前戦後を通して在日朝鮮人がおかれた境遇と差別をテーマとしているからだろう、発表後長い間黙殺に近い状態に置かれていた。
戦前、岐阜県戸狩山の地下壕建設で強制労働を強いられ、戦後日本の大会社の重役になりあがった朝鮮人の趙尚平(森山尚平)は、徹底的に「日本人」として生きる。過酷な強制労働の体験を持つ趙(森山)の社会的成功もその維持も、自分の過去を消し去ることで可能であったからだ。しかしそれはたやすいことではない。耐え難い困難が彼を襲う。
作品中、趙(森山)が「ながい…ながい…くらい…くらい…この窖どこまでつづくのだ だれか助けてくれ‼」と過酷な強制労働のフラッシュバックに苦しむ場面がある。印象的だ。しかし、ちょっと待てよ、この話はすでに過ぎ去ったものなのか。いや違う、私たちはいまだこの「ながい、くらい窖」の中にとめおかれているんじゃないのか。
長い間、この「窖」の生活ですっかり慣れっこになってしまった私たち在日朝鮮人の姿が透かし見える。「窖」を「窖」として感じられる朝鮮人として感性を取り戻さなければ…。

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